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2009.05.28 *Thu
史跡巡り「平忠度腕塚、胴塚(首塚)」
「腕塚」

住所⇒兵庫県神戸市長田区駒ヶ林町(地図)
ほんとにね、見過ごしてしまいそうな場所にあるのよ・・・・
土地勘があるσ(´・д・`)でも・・・・・未だに迷うw

所々に、こんな案内板があるけど・・・・・・・・・、
すぐ近くには案内板がないから・・・・・んで、解りにくい場所にあるから迷うw
まぁ、1番大きな目印となるのは、アグロガーデンかな。
アグロを高松線沿いに西行すると駒林神社があり、
その少し先に・・・・・腕塚への入口の道しるべ↓があります。

これを見逃しちゃうと・・・もうわかんないヽ(´ー`)ノ
歩きならいいけど・・・・・車とかバイクなら見逃してしまいそうだ(TωT)
もっと、ちゃんと付近の写真を撮りたかったんやけど、
入口の道しるべの前でスピード違反の取り締まりしててね・・・
(/TДT)/あぅ
なんとなく・・・・・・・・・気が引けたのだハァ(つω-`。)

路地に入って歩いていくと↑のアパートかな・・・があってね、
左へ行ってください!んでまた路地があるの・・・・・

道しるべがあるから、そこを真っ直ぐいくと腕塚堂へ(*´∀`*)b
−腕塚堂−
(手水鉢)

(百度石)

この狭い空間の中で・・・どこからどこまで百度行き来するんだろう・・・
って、疑問は残りますが・・・・(・ω・`;A
(十三重石塔)


(お堂)

このお堂の中には立派な祭壇があって、平忠度がお祀りされていました。

−胴塚(首塚)−


住所⇒兵庫県神戸市長田区野田町8丁目(地図)
ここはもっと解りにくいヽ(´ー`)ノ
腕塚堂をまた西行すると、長田港北交差点があるんだ。
その次の信号かな・・・・・・・・を、山側へ渡るんだ。

オレンジの家・・だと思うが、これが目印になるかな。
ここの道路は一方通行になってるんで、それも目印になるかな・・・・・・
伍魚福って会社の横にある・・・んだ。
−胴塚−

(お玉大明神)


平忠度は清盛の弟で薩摩守忠度の名で広く知られており、
剛勇でもあり、藤原俊成に師事するなど、歌道にもすぐれた人物でありました。
一ノ谷の合戦(ウィキペディア)のとき、忠度は一ノ谷陣の大将でありましたが、
敗れて駒ヶ林指して落ちていく途中、源氏の武将岡部六弥太忠澄と戦い、
首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に右腕を斬り落とされてしまいました。
忠度は観念し、念仏しつつ討たれたといいます。
箙(えびら→矢を入れて背に負う道具)には、
行きくれて木の下かげを宿とせば
花やこよひの主ならまし
という歌が書かれた紙片が結ばれていました。
この歌から忠度という人物の素性が知れ、
敵味方とも文武に秀でた武将の死を惜しんだといいます。
腕塚は、忠度の斬り落とされた腕を埋めた所であると伝えられており、
腕、腰、足の痛みに御利益がある・・・・と、信仰されています。
−説明板より−
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・・・・・・・胴塚についての由来などは解らんですヽ(´ー`)ノ
なぜ建てられた・・・・とかね。
明石にも忠度塚があるんです〜(´・ω・`)b
忠度の腕塚も・・・(´Д`)
また、いつか紹介したいと思います(*´∀`*)
2009.05.25 *Mon
史跡巡り「駒林神社」
「駒林神社」


住所⇒兵庫県神戸市長田区駒ヶ林町3丁目(地図)
−境内−
(手水鉢)


(´-ω-`)う〜ん ・・・・宝物庫・・・御輿庫・・・・・倉庫!かなんかですw
(石燈籠)

文政四辛巳年(1821)・・・・・・の銘だと思うのですが。
(狛犬)

(拝殿)


(本殿)

祭神:応神天皇、猿田彦大神、歳徳大神
≪駒林神社由緒≫
当社は、務古の水門の一部にあたり、
治承2年(1178)には平清盛が上陸したとの記録(山塊記)もあり、
古代の要津でありました。
そのため、来朝する外国人を検問する玄蕃寮の出先機関があり、
当社は、その役所内に奉斎されたことに始まる・・・と伝えられています。
延元元年(1336)、足利尊氏が西国敗走のおり、当社に参詣して、
今むかふ
方は明石の浦ながら
まだ晴れやらぬ我が思ひかな
と、詠んで、社前の浜より乗船した・・・・・といいます。

文政13年(1830)、高井山城守石原清左衛門が社殿を改築、
井戸ノ町若中より狛犬一対が奉納され・・・・・社頭整備が進み、
明治26年に拝殿が新築されましたが、その後荒頽・・・・・・・、
しかし、大正13年に社殿等修築され、八王子八幡神社、若宮神社をはじめ
村内の小祠を合祀し、「駒林神社」と改称・・・・・・無格社から村社になりました。
この神社は、永延2年(988)から始まったという左義長(どんど)で有名でした。
漁師が1年の綱入れの優先権を争うもので、
「駒ヶ林のけんか祭り」といい、なかなか激しいお祭りであったようです。
しかし、埋め立てが進み、前浜が消え・・・昭和34年を最後に、
けんか祭りも終焉を迎えました。
−神戸の神社、神戸の町名より−
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−境内社−
(靖国社)

(荒神社)

(天光、玉勝稲荷神社)

(神明神社)

(石燈籠)

明和・・・・・と九月の文字しか確認できませんでした(TωT)
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祭礼:1/15左義長祭、1/18〜20厄除祭、5/3例祭
御利益:厄除、招福、方除開運、安産、諸病平癒、交通安全
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2009.05.25 *Mon
史跡巡り「藤之寺」
「藤之寺」

住所⇒兵庫県神戸市兵庫区兵庫町1丁目(地図)
≪藤之寺由緒≫
山号:紫雲山、浄土宗。
兵庫津の豪商、北風家の伝承によりますと、
もと、白藤姓を名乗っていた北風家が、建武3年(1336)に新田義貞に味方し、
北風に乗じて足利尊氏と勇敢に戦ったことから、
「喜多風」の名を与えられた・・・・という。
この、北風家の菩提寺、西光寺は・・・・・・・・・・・・
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寺伝によりますと、もとは北風家が佐比江(この近所です(´・ω・`)b)に社を建てました。
それが西光院であり、神功皇后から賜ったという御手形を御霊として祀り、
相殿に春日神社を祀っておりましたが、後に浄土宗の西光寺と改めました。
兵庫津の元禄5年(1692)「寺社改帳」には、
文安4年(1447)音誉勢観上人の開基とし、迎接院藤之寺といったとある・・・・。
しかし、それ以前の延宝の記録では慶長17年(1614)片桐且元の除地証文を
得て西光寺と称したとある。
−−−−
除地とは・・・江戸時代、年貢諸役を免除された土地。
社寺の境内や無年貢証文のある田畑・屋敷など。
−大辞林より−
−−−−−−−−−−
慶長の除地では、本寺のほか、支坊が7つあったようですが、
その後退転したらしく、本寺だけとなった。
明治元年には一時廃寺となったが、その2年後に再興を許されて今に至っています。
−神戸の史跡より−
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「白藤氏の菩提寺」ということで、俗に「藤之寺」と呼ばれるようになりました。
−兵庫区歴史花回道より−
−境内−
(本堂)


本尊は阿弥陀仏。

この一角にはお地蔵さんなどが祀られてたよ〜
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境内にはあまり見るものはないですが、
兵庫の町の発展に大きく貢献した北風家の菩提寺なんで・・・
って、今もそうなのかな?
(´-ω-`)ふむぅ
お墓の中をじろじろ見回るのもね><
2009.05.24 *Sun
史跡巡り「願成寺 平通盛、小宰相の五輪塔」
「願成寺」

住所⇒兵庫県神戸市兵庫区松本通2丁目(地図)
≪願成寺由緒≫
山号上野山、浄土真宗。
このお寺は、もと烏原村住蓮坂の北手(現在の烏原水源地)島原谷の
左岸にありました。
住蓮坂は、石井・夢野から烏原村への道であった。
はじめは観世音を祀り、観音寺という古い寺であったが、
後に衰退していたのを法然上人の弟子住連坊が妻安楽とともに再興し、
願成寺と称した・・・・・・と伝わっています。
後・・・・・・鳥羽上皇の側近の松虫、鈴虫を尼にしたという理由で、
上皇の怒りにふれ、近江で妻と共に処刑されました。
弟子たちがその首を寺内に葬った・・・といわれています。
−−−−−−−−−−−−
また、その首を烏がくわえて運んできたことから、
もとは上野といってたところを、烏原というようになったと伝わっています。
また、「神戸の町名」では、この時、烏が群れをなして鳴いていたので、
上野村から烏原村と呼ばれるようになったとも。
−−−−−−−−−−−−−−−
この村は、明治33年〜39年までに上水道の貯水池となったので、
全村が付近へ立ち退いた・・・・・
その時に、このお寺も現在地へと移ってきました。
−神戸の町名、神戸の史跡より−
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−境内−
(山門)



(本堂)


本尊は阿弥陀如来像
(墓地への入口)

ちょくちょく扉は閉まっていますが、簡単に開きます(´・ω・`)b
(´-ω-`)う〜ん
ここの墓地も何度も足を運んだのだ。
その時に思うんだけど、なんとなく・・・・いあ・・・なんとなくだよ、
生暖かいの・・・空気が。
気候とかじゃなく・・・いつ訪れてもね(´Д`)
他の墓地は、そういうのはあまり感じないから・・・さ。
気のせい・・・気のせい・・・・・・・・
って、開放感あって←お墓に対してこういう表現は不適切かもしれんけど、
全然怖いとかそういうのではないですからw
んでね、平通盛と小宰相の五輪塔はお墓の一番奥にあります。
あまり、お墓の写真をバチバチ撮るってのも気が引けて・・・・、
口での拙い説明となりますが。
一番奥に古い住連坊の塔があります。
目立つからすぐ解ると思いますよ〜

その右横にある2つの石塔が平通盛と小宰相の五輪塔です。
−−−−−−−−−−−−−−−
「平通盛、小宰相五輪塔」

平通盛(ウィキペディア)⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%80%9A%E7%9B%9B
小宰相(ウィキペディア)⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%B0%E7%9B%B8
初めて訪れたとき、どれがそうなのかってのが解らんくて、
違うお墓とか塔をひたすら撮ってた(´Д`A;)
下調べは・・・・・・重要です(´・ω・`)b
il||li(A´・ω・)
「神戸の史跡」には、小宰相の乳母、呉葉の五輪の石塔もある・・・
とも、書かれていますが、これは確認できずです><
呉葉は住蓮坊の義妹であったともいわれています。
(´-ω-`)う〜ん
何の本に書かれてたか忘れたけど、
その呉葉との繋がりでここに通盛と小宰相の五輪塔が建てられた・・・
ってあったような気が。
って、うろ覚えだから自信はないですが><
他にも古い石塔などがあったので、
そのなかにあるかも・・・・・です。
また、このお寺には鎌倉期以前の地蔵の木像が祀られていますが、
これは、寺の縁起に小宰相ノ局の念持仏で、満来上人作とあるのが、
それかと思われます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
平通盛と小宰相の恋話は、なかなかキュンってなります。
キュンっていう表現は古過ぎか・・(A;´・ω・)アセアセ
2009.05.21 *Thu
史跡巡り「福海寺」
「福海寺」


住所⇒兵庫県神戸市兵庫区西柳原町(地図)
前回紹介した「柳原蛭子神社」のすぐ前にあります(´・ω・`)b
≪福海寺由緒≫
足利尊氏が開いた・・・・・・と、伝えられています。
臨済宗南禅寺派のお寺で、暦応5年(1342)に創建されました。
足利家の歴代の崇敬が厚く、尊氏や義満も度々参拝したといいます。
寺の由緒によりますと・・・、
北畠顕家らの軍に敗れた尊氏は、一時観音堂に隠れたのち、
九州から兵庫の地に入って、湊川の戦いに勝利した。

その2年後・・・・・・・・室町幕府を開いたのち、土地の人々への報恩のため、
観音堂のある場所に京都西加茂にある正伝寺の圓有禅師を開山に招いて
創建したといいます。
その当時は、少し西の方にありましたが、嘉吉の乱で焼失したため、
現在地へ移転となりました。
昔は16もの僧坊があった大寺で、西惣門のまえにあったことから、
兵庫城の防備の役割も果たしていたと思われます。
また、内陣(社寺の内部で、神体または本尊を安置してある奥の間)に
お祀りされてる本尊の大黒天は、その名の示すように、
黒い忿怒(ふんぬ)相をしています。
大黒天はインド伝来の戦闘神であります。
日本に招来されてからは、室町期になると大国主命と
習合(異なる教義などを折衷すること)して、台所の守護神、穀物の神となりました。
−兵庫史を歩く、大辞林より−
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−境内−
(友愛の碑)

碑を・・・・・っていうより、写真のセンスが悪いけど、
竹がね・・・すごくきれかったのだ(*´∀`*)
(平清盛遺愛時雨之松碑)

清盛が愛した「時雨の松」は、青葉から玉露の滴を垂らし、
霊験あらたかであったといわれており、清盛の隆盛を導いたといいます。
現在は松はなく碑だけが残されています。
(稲荷大明神)

(お地蔵さん)

(寺務所)

(本堂)


本尊:大黒天
−−−−−−−−−−

本堂の右手へ行くと・・・・・・・
(手水鉢)

(石燈籠)


このお寺には4.5回来てるけど、今まで気づかなかったヽ(TдT)ノ
最後の灯籠の写真撮っててね、なんかおる!って近づいていったら・・・

お地蔵さんと・・・・・・お釈迦様?・・・・・・・(-ω-;)ウーン
神様の名前と姿が一致せん(´Д`)
これも、勉強していかんとねヽ(TдT)ノ
このお寺・・・ってか、蛭子神社もそうだけど、
訪れたのが夕方で・・・・・・・写真撮るのに苦労しました(´Д`)
曇りだと全体的に写真が暗くなり(カメラの設定で少し明るめにしてるけど・・)、
晴れだと・・・光の加減で写真がぼやけたり、木とか建物の影が入ったり・・・
夕方は夕方で・・・・・西日との戦い(TωT)
んで、いつも負けてます( ・´ω`・ )
ブログ歴と同じくらい写真歴もあるけど・・・あるはずだけど、
未だに写真の腕はあがらんねヽ(TдT)ノ
あ・・・ブログの腕もか///orz///ズゥゥゥゥン


